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水月〜決意〜

 あの忌まわしい事故から一年。遙はいまだ目覚めない。
 体には何にも異常はないのに。いますぐにでも起きてきそうなのに。
「おはよう、水月」って、すこしはにかんだような笑顔を見られそうなのに。早く起きてくれないと、もう自分を抑えられないよ。私、孝之をとっちゃうよ・・・。


 あの事故があってからの孝之はもうほとんど廃人だった。
毎日、今日こそは遙の笑顔が見られることを期待して病院に行き・・・裏切られる。裏切られるたび孝之の顔から生気がなくなっていった。それでも、来る日も来る日も遙が目覚めるのを信じて通い詰めていた。なぜならそれが孝之の持っているただ一つの希望だったから。孝之を救うことができたとしたら、それは遙、遙だけだったんだよ・・・。

 それから。孝之はひたむきに遙の回復を祈り、そのためだけに生きているような生活だった。自分を責め、心を閉ざして過ごす日々。私はそうした孝之を毎日見つめ続けた。
 ほとんど何の感情も示すことなく学校を終えると、反射的にすぐに遙のいる病院を目指す孝之。そこで遙に向かって優しく話しかけ、反応がないことがわかると大きく肩を落とす・・・。それが毎日の暮らしの中で孝之が見せる唯一の感情。私や慎二君、茜と話すときでさえ、孝之の声は虚ろだった。
 事故の後、孝之は私を責めようともしなかった。それが孝之の孝之らしい優しさなのか、それすらも頭が回らなかったのか、今でも分からない。でも私にとってはそれがつらかった。すべてを抱え込んで暗闇からでてこられない孝之・・・。責めたり罵ったりする相手としてすら役に立たない自分。遙と孝之、二人にとって私は一番近い親友だったはずなのに、何の力にもなれない。そんなのって、ないよ・・・。二人を結びつけた私がいけなかったの?
 孝之・・・。どんな形でもいいから私、力になりたいよ。私を憎んでくれても構わない。少しでも孝之が楽になるのなら・・・。

「暑いなー。」
 もう九月だっていうのに。駅から病院へ向かう道のアスファルトが柔らかく感じられる。視界もうっすらと揺らいでいるのが分かる。ここ一年通い慣れた道。早く通わないで済むようにならないかな。
 それにしても、何の話だろう?昨日の夜、遙のお父さんから電話がったのだ。遙の容態に変化があったんだろうか?ううん。それならすぐに来てくれってなるはず。それに遙のお父さんとは毎週のように病院で顔を合わせているんだから、よほど大事な話じゃない限り時間を決めて会う必要なんてないはず。それもたぶん悪い話だろうな・・・。こちらが一応の心の準備をする時間をくれるため、わざわざ電話をくれたんだと思う。
「速瀬さん・・・。」
 医局の前を通ったところで遙のお父さんに声をかけられた。あの事故の前とは比べものにならないくらいやつれてしまったが、とげとげしさを感じることは全くなかった。快活さがないのが、痛々しい・・・。
「立ち話も何だから、喫茶室でお茶でもいかがかな?」
「はい・・・。」
 廊下じゃ話しにくい話。でも先生とか看護婦さんとかを交えて、というわけではなさそう。やっぱり遙の容態に変化があったわけではなかったんだ・・・。
 
 外に展望の広がる喫茶室。病院の上階にあることは知っていたが、ここに入るのは初めてだった。
 コーヒーを注文すると、遙のお父さんは私の顔をじっと見て話し始めた。
「速瀬さん、遙のために本当にありがとう。遙がこんなことになってから毎日のように献身的に来てくださって・・・。」
 おもわず遙のお父さんを見つめ返した。なに、どうしたの?急にあらたまってそんな話を・・・。でもやっぱりいい話じゃ、なさそう。
「いえ、そんな。大したことできないですけど、私にとっても大事な遙のことですから・・・。」
 とりあえず、返事を返して様子をうかがう。何を、言われるんだろう?
「・・・・・・。」
 しゃべりづらそうにワンテンポ間をあけて外を見る。病院のすぐ後ろに広がっている海が赤く染まりだしていた。こんな海岸が病院の向こうに広がっていたんだ・・・。ここ一年、病院に通い詰めていたのに全然知らなかった。そんな余裕、なかった・・・。
「・・・速瀬さん、あなたもそろそろあなた自身の道を歩んでください。」
 え・・・?そう聞き返したつもりだったが、声がでてなかった。それって、病院には来るなって・・・こと?
「いつ目覚めるか分からない娘のためにあなたの人生をこれ以上犠牲にしないでください。速瀬さん、あなたにはあなた自身の人生をしっかりと歩んでいただきたいのです。」
 そんな、犠牲だなんて・・・。言いかけて、言葉を飲み込んだ。遙のお父さんも十分、分かってる。ほとんど決まっていた実業団入りをやめ、今の会社に勤めているのは明らかにこの事故が影響しているんだから。
「このことは鳴海君にもお話ししました。お二人にはそれぞれの人生を・・・歩いていってほしいのです。ここまでこんなに親身にお世話になってひどい言い方かもしれません。ですが・・・。」
 遙のお父さんの気持ちは、分かる。たぶん私は何とか歩いていける。あの事故を悔いながらも前に進めると思う。でも。でも孝之は・・・。
「わかり・・・ました。でも・・・」
 何とか言葉をのどの奥からひっぱりだす。しかしその後に遙のお父さんは言葉をかぶせてきた。
「鳴海君のことでしょう?」
 私の心の奥底を見つめるように、しかし穏やかに言った。
 一瞬びくっとして遙のお父さんの目を見つめる。それには構わずに、私に諭すように話を続ける。
「鳴海君がどんなに強く娘のことを思ってくれているか、この一年間で本当によく分かりました。あれほど一途に思われる、遙は本当に幸せ者です。鳴海君の気持ちが通じて遙の目が覚めるのではないかと、奇跡がおこるかもしれないとまで思ってしまったくらいです。はははっ・・・。おかしいですね。いい大人が。」
 私だけじゃ、なかったんだ・・・。廃人のようになりながらも毎日毎日病院に来ては話しかける孝之を見て、奇跡が起こるんじゃないか、呼びかけに遙が応えるんじゃないかと思ったのは・・・。
 でも、そんな都合のいい話は、なかった。やっぱり遙はずっと眠ったままだったし、孝之もどんどん弱っていった。このままだといつか孝之まで、倒れて帰ってこなくなりそうだった。
「家族でもない私が言うのも変かもしれませんが、あなたに鳴海君のことをお願いしたいのです。私はここまで遙のことを思ってくれている彼の人生を壊したくないのです。鳴海君には彼の人生をしっかりと歩いていってほしいのです。」
 いつにない強い口調で遙のお父さんは私に訴えかけてくる。その口調は孝之のお父さんから話を聞いているような錯覚すら覚える。本当に、心から孝之のことを心配しているんだ。私にも分かる。孝之のひたむきさを見たら放っておけないことは。
 私の気持ちは、完全に見透かされてる。孝之を好きだってことを・・・。その上でこの人は私にこんなお願いをしてくる。なんてつらい、お願いなんだろ・・・。遙をそれこそ死ぬほど愛してくれる人を、遙から離れさせようというのだから・・・。遙が目を覚ましたらどんな気持ちになるか分かっているのに、こういう話をしてるんだ・・・。
「遙がもし目を覚ましたらあなたたちにもまたつらい思いをさせてしまうでしょう。それでもこんなお話をする私の勝手な言い分だと分かっています。父親のエゴでしかないんでしょう。でも、これが私の出した結論です・・・。」
 苦渋に満ちた表情のまま、遙のお父さんは口を閉じた。しかし有無を言わせない強い決意がその口元には表れていた。これは・・・拒めない。
「はい・・・。」
 一言。今の私にはこれが精一杯だった。でも、これだけは言っておかなくちゃ。
「でも一つ、お願いがあります」
 間を空けて遙のお父さんの目を見つめる。その瞳には何でも受け止めてやるという強い意志が見える。
「遙が目覚めたら、まず孝之に知らせてあげてください。」
 遙がいない間、私が孝之の側にいたとしても、孝之が遙と私の二人の中から私を選んでくれた訳じゃない。私は遙のいない隙に滑り込んだだけ。もしかしたら厳しい現実が待っているのかもしれない。遙が目覚めたとき、孝之がどちらを選ぶとしても、3人ともすごく傷つくだろう・・・。
 でも、遙が目覚めたとき、孝之が側にいなければ遙は寂しく不安になると思う。孝之も、そのとき誰とつきあっていても、また誰かと結婚していたとしても遙とは会いたいに違いない。だから、このお願いだけは、譲れない。
「・・・・・・。分かりました。約束します。鳴海君に真っ先に知らせましょう」
「すみません、無理をお願いして・・・」
「いえ、謝らなければならないのは私ですよ、本当に・・・。いろいろと、お世話になりました・・・」
 まだ続けて何か言おうとしたが、遙のお父さんはそれを飲み込んだ。代わりに私が尋ねた。
「あの、今日は遙に会っていってもいいでしょうか」
 しばらく会えなくなっちゃうから、ちゃんと声をかけておきたい・・・。
「もちろんです。顔を出していってあげてください」
 
 夕焼けで真っ赤に染まった喫茶室を遙のお父さんと共に後にする。遙の目が覚めたとき、きれいなところがあるんだよって、ここに連れて来られるかな・・・。遙の驚いた顔を思い浮かべてみる。二人で前みたいにじゃれあいながら、遙のリハビリのグチや私の仕事上の不満を話すの・・・。
 エレベーターで遙の病室へ降りる。二人とも口を開かない。お互い胸の内がいっぱいで、話なんて、できるわけない。

 ・・・遙の病室に、着いた。いつまた会えるか分からない、しばらくの別れ。二度と会えないとは絶対に思わないけど、いつになるかは見当もつかない、しばらくの別れ。明日会えるかもしれないし、考えたくはないけど、10年後かもしれない。
 「速瀬さん、どうぞ。お二人で話した方が遙も喜ぶでしょう」
 悲しげな笑顔で遙のお父さんは病室のドアを開けてくれた。訪れる度に遙の笑顔を探した病室。時には孝之のあまりにもか細いすすり泣く声を聞いたりもした。私自身、泣きながら何度も何度も遙に呼びかけ続けた。つらい、あまりにも悲しいこの病室。それでも私はこの部屋に通った。それも、今日が最後・・・。しばらくのお別れよ、遙・・・。
 一歩一歩、確かめるように遙に近づいていく。いつものように遙の右側に立ってその顔をのぞき込む。
「遙・・・。遊びに来たよ・・・」
 髪を整えてあげながら話しかける。いつ起きてもいいように、遙の髪は茜や遙のお母さんの手で手入れされている。私も時間が合うときには手伝った。
「あのね、遙・・・。しばらく、顔を見に来られなくなっちゃうんだ・・・」
 遙にゆっくりと、言い含めるように話しかける。
「遙が遊んでくれないからだよ・・・。だから、遙がまた一緒に話したり、遊んだりしてくれるようになったらまた来るからね・・・」
 話しかけてて涙が頬を伝うのが分かった。声も、少しふるえてる。もう想いが、止まらない・・・。
「早く、元気になってよ遙・・・。目を覚ましてくれないと孝之、とっちゃうよ?私、もう自分が抑えられないよぉ・・・」
 
 どれくらい時間が経ったんだろう、遙の病室の窓から見える空は、ほとんど赤さを失っていた。遙のベッドに突っ伏して泣きながら少し寝てしまったみたい。
 もう、帰らなきゃ。泣いたことで少しは気分が落ち着いたみたい。うん、私は大丈夫。決心も・・・ついた。
 私が孝之の支えになる。遙から孝之を・・・とる。

後ろ手に遙の病室のドアをそっと閉め、静かに歩き出す。もう、振り向かない。

ごめんね、遙。こうするしかなかった・・・ううん。いいわけはやめよう。こう、したかった。孝之と一緒に歩いていきたいんだ・・・。




あとがき
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